†Dear...†

blogの過去記事投稿が、2002年〜しか出来ないので、年齢と、blogの内容がずれてしまっていますが、気になさらないで頂けると嬉しいです(。-人-。)

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2014年12月20日(土)
【†Alphabet Talk ◆A◆ Answer 〜it is a hug〜†】
簡単なこと。
抱き合いたい。

小学校3年生くらいまで、祖母にだっこされて甘えていたけど、
それからは人にふれることが怖かった。

18歳の梅雨の時期に眩暈で倒れた。

半年病院を転々として、検査をして、心療内科へ行った。

大学を休学して、カウンセリングを受けた。
(休学中も施設やサービスは同じように使えた。学内の無料カウンセリング)

心療内科の付属の無料カウンセリングも同時に受けた。

その頃、初めてパソコンにさわった。

セラピーも2つ同時に受けて、自分に対する刺激だらけになった。

いじめられていたことや、男性が怖くて仕方ないことや、
なんだか辛かった思い出が一気に吹き出して、泣いても泣いても止まらない日があった。

そのときわたしはhugが必要だとわかっていた。

それは母親からでなくてはいけなかった。

理由はわからないけれど。

いつだったか忘れたけれど「恋人が出来れば治るんじゃないの?」と母に言われたが、
どうしても、母親の愛じゃなくてはいけなかった。

勇気を出して母に言ったが「いやだ。恥ずかしい。」程度にかわされた。

それから、わたしはダンスセラピーや、英語のカウンセリングなどで、
知らない人と話すことも、ふれることも全然平気な人間に様変わりしたけれど、
未だに母の愛だけは手に入らない。

それはhugじゃなくても良かった。
訳せばhugだっただけで、わたしがそれをhugだと感じられればそれで良かった。

恋愛の抱擁や、抱きすくめられることや、優しく抱き寄せられることとそれは違う。

ダンスセラピーの最中に不安定になって泣いてしまったことがあって、
(セラピー中にはたびたびあることだけれど)
セラピストの女性がイスラエルの方だったので、共通言語で英語を使っていた。

そして「今何が必要?何をして欲しい?」と訊かれて、
I want to hug.
と答えた。

自分の欲しているものをすぐ言葉に出せることを誉められて、そしてそれは叶えられた。

わたしにはhugが必要だ。
きっと誰にとっても必要だと思う。

それは自分が此処にいることを体感させてくれる。

此処に居てもいいんだと諭してくれる。

羊水の中に居た頃のような気持ちになれれば、どんな行為でもそれはhugだ。

ダンスセラピストのナーマはすぐに実感を失うわたしによく言ってくれた。

 重力を感じなさい

と。

 大地を感じなさい
 
と。

それは地球からのhugを感じるということだったのかもしれない。

Feel the ground.
Feel the gravity.

気づけないだけだ。

こんなにも許されて生きているということに。

いつも、わたしはhugを求めてやまないけれど、
求めるものじゃない。

求める限り、得られない。

無防備に受け入れ、許すことだ。

そうすればそれはいつでも与えられる。

人からだったり、地球からだったり、食べ物からだったり。

幸せを傍受することはとても怖いけれど。

答えは求めた瞬間に見えなくなる。

自分の中にあるのに、他者に求めるから遠ざかる。

              「愛してる」

10:52
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2014年12月20日(土)
【†Alphabet Talk ◆R◆ Revolution†】
昔はよりよく暮らすためには、幸せになるためには、政治を社会を変えなくちゃいけなかったんだ。

でも、今わたしたちがしていることはきっと自分を変えること。

自分の価値基準で、迷惑をかけない範囲で、才能を発揮して、楽しく生きていく。

とても良いと思う。

だけど、少し何かが物足りない。

あの歌もこの歌も自分を愛そうと声高に叫ぶけれど、手を取り合おうと言うけれど、
みんな、もうすっかり臆病になってしまったんだ。

1つのものを好きだ、嫌いだと言い合うことで共感出来たような気になってるんだ。

同じ曲を聴いていなければ、同じ神を信じていなければ、同じトラウマがなければ、一緒に居られないのか。

情熱が足りない。

宗教戦争なんて嫌いだ。
学生運動だってただ機動隊と政治思想を持った学生達が少しやり合っただけかと思っていたのに、死者が出ていたんだ。

見えない価値観を共有して、異物を消そうとするのは決して良いことではない。

でも、わたしは学生運動の映像の熱さが忘れられない。

世界の富は僅か数%の人のところに集中し、その人達が優雅に大理石の上を歩いているときに、
数円の注射さえあれば助かる人が死んでいく。

TVでコンビニや、ファーストフードで大量に食品が捨てられているのを見るのがイヤだ。

新しい機械が出来て、今までよりロスが少なくなるという報道だったけれど、
餓死する人を見て涙ぐむキャスターが、にこやかに社長にインタビューしているのが信じられない。

ニュース速報で内戦によって何名死亡・・・などという文字を見るたびに、
一人一人の今までの人生や、愛したものや、すべてを想像して眩暈がした。

気づけば、いろんなことに慣れすぎて、そういう感性を失ってしまっていた。

あのままでは、発狂するか、自殺をするかしか道がなかったように思うけれど。

わたしの知人が数%の人が所有している財産を均等に配れば、
この地球から餓死が無くなるというニュースを見て、見たことのない国の子供の親がわりをしている。

寄付をしたり、手紙を送ったりしているのだろうか。
彼女のうちでハガキを見かけて知ったことだから、どういう制度なのかは知らない。

ただ、彼女がそのニュースについて何かを喋っていた記憶はある。

彼女をかっこいいと思うし、尊敬もした。泣きそうにもなった。

でも、もっと拡がればいいと思った。

いい人ぶるのが恥ずかしいなんて思わなければいい。

そういうわたしは寄付が嫌いで、児童会役員だったときに朝募金箱を持っていたが、
はっきり言ってめんどくさいと思っていた。

今だって、ボランティアだって、少しの寄付だって出来ないわけじゃない。

でも、出来ない。

わたしの視野は狭くて、身近な人にしか愛情が向かない。

自分が手を汚さずに、でも、間接的には、何人もの命を見殺しにしていることを背負って、
目に見える人を愛することしか出来ない。

いや、それさえも出来ないが。

せめて、わたしはこうやって書く。

ホントは同じ時代に生まれたみんなと愛と平和なんてことを叫びながら肩を組んで歩きたいってことを。

実際に倒れている人を見たらどうにかしようと必死になるであろう自分を信じたいことを。

誰にも言わずに命を救う彼女を誇りに思うことを。

矛盾だらけの世の中だけれど、いざとなったら手を繋げるといい。

自分のスタイルを作ることも、仲間や家族を愛することも、とても素敵だけれどね、
拒絶されることを畏れずに、ホントは気になるあのコトや、あの人に近づいてさわってみればいい。

きっと特別なことなんてなにもなくて、生まれたときから死ぬまでわたしたちは、
抱き締められて安心して眠り、常に何かに守られて、知らない全てに興味津々な存在なんだ。

ただ、あまりにも即物的で恥ずかしいだけなんだ。
怖いだけなんだ。

取り乱して泣いて笑う、温度のある人間が好きだ。俗物なのは良いことだ。

理想論じゃ何も変えられない。

まずはあなたと繋がりたい。

    はっきり言って全てがどうでもよくて些末なことだ。
    答えは初めから知っている。
    でも、見失わないように繰り返し心で、言葉で反芻する。

生きるパワーでピカピカに光っていたいのよ。

          S女子学院の孤高の革命児(だったらしい)わたしの深夜の妄言たち

10:50
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2014年12月20日(土)
【†For you†】
好きだったアニメの歌詞で、簡単に言えば
“悲しみは半分に、喜びは倍に”
みたいなのがあったけど、(要約しすぎ)
大切な人と居たら悲しみなんて消えちゃうし、喜びはもっと大きくなるよね〜。

日記に書けって感じの内容になってきたけど、(掲示板から移動してきた)
わたしも好きなら好きって言うし、異性だろうが同性だろうが、そういう感じで、
んで、ハルちゃんもはっきりそれを言ってくれるから嬉しかった。

なんか別に誤解しないから、likeだろうが、広いloveだろうが、
いい意味の言葉は恥ずかしがらずに、どんどん言いたいし聴きたいです。

応えられない気持ちもあるけどさぁ、好きっていうのはその人の存在だけで嬉しいもんだよね。

中学生の頃、芸能人さんが本気で好きで、
同じ時代に同じ場所で出逢えて(逢っては居ないけど、存在を知るってこと自体がすごいじゃん)、同じ空気を吸ってると思うと、
つらい学校生活・・・っていうか、自分が自分であることのつらさからさえも抜け出せてた。

17歳くらいから見返りとか、逢いたいとか、欲も出て来ちゃったけど、
基本的にすっごい偶然の重なりで出逢えて、小さな気持ちでもぶつけあえたら、
それは幸せだよね。

傷ついたりしてもさ。

あ〜だこ〜だ言うときもあるけど、
水城ちゃん、ハルちゃん、家族、夏に恋した人、
冬(last winter)に恋した人、
忘れられない痛みと幸せをくれた人、
梓ちゃん、数少ない学校時代の友達、
こゆみちゃん、しのぐちゃん、林檎さん、りさちゃん、
まゆちゃん・・・

あぁ〜。もうわかるでしょ!!みんなだよ〜。

に逢えたことはすごいことだと思ってる。

言葉にするなら
「愛してる。なにもしてくれなくていいから居て欲しい。必要だ。」
そのくらい好きですよ。

・・・クミカちゃんは元気なのかなぁ?情報求むナリ。

んでんで、タイトルがピンクな通り、
音楽が好きな方としても、人間としても、
F・A・I・Rを知ったのはでかかった。

ホントに抱えてる泣きそうなことを話したりは出来ないけど、
人に対する姿勢を見習おうと思ったり、努力を努力って言わないとことか、
(林檎ね〜やんや、りさちゃん、こゆみん、おっ!!ミドちゃんもそうやな。)
いろいろなんか暖かい気持ちをもらったし、
きっとこれからもいろいろ学ばせていただくんだろうと思う。

それは此処に書いた方はもちろん、書けなかった方も。

最近「ありがとう」も「ごめんね」も素直に言えないけど、
なんかいろいろ感謝してるし、きっとあなたが思っているよりずっと、
わたしはあなたの存在や言葉に勇気づけられているから。

恥ずかしいから、しばらくこんなこと言わないけど。

21歳の締めとして、言っておくよ。

   ・・・この調子だと3日酔いは確実の児玉智子でした。 

10:16
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2002年12月07日(土)
【†12月6〜7日†】
出来ることから無理しないでやっていこうと思う。

10代でデビューしている人が多くて焦って、
大学卒業の歳なのに、何も決まってない自分がイヤで、親にも申し訳なくて、
まあ、でも笑顔が一番でしょ?

関西人の血が半分流れていることと、下町っ子の血が流れていることに感謝。

ドラマを見るたび泣いちゃう素直なわたしが好きさ。

探していく過程に如何に喜びを見いだすか?だな。

苦しんでたって、笑ってたって、毎日は過ぎていくんだから。

23:59
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2002年02月14日(木)
【†Alphabet Talk ◆B◆ B’z〜絶対語感〜†】
“確かなものは闇の中”っていう曲が“Risky”というアルバムに入っているんですが、
わたしはこの曲がB’zの中で一番好きです。

今日も無性に聴きたくなってリピートして聴きました。

共感出来るとかそういうことではなくて、ただ好きなんです。

母に言うと「あぁ、あの暗い歌ね?」と言われちゃいましたが、そんな曲です。

でも、今日聴いていて
“優しく微笑えば 後が辛い 冷たくなれる優しさもない”
っていうところが一番切なく響きました。

わたしは初めから優しく微笑えないけれど、冷たくなれる優しさもやっぱりなくて。。。
単純に冷たいのかなぁ?

そうそう、わたしは“絶対語感”というものがあるとしたら、稲葉さんはソレを持っていると思います。

最近ではポルノグラフィティのハルイチさんにも感じます。
(テンポのいい歌詞もそうだけど、“サボテンに水をあげすぎちゃうところが切ない)
L’Arcのhydeさんもそうかなぁ?・・・と思ったり。
彼は恋のことを風と表現しているところが素敵だと思います。

わたしの中での“絶対語感”を持っている人の基準は
「フレーズの何処も変えようがない言葉を綴る人」・・・かな?

カタカナも漢字もてにをはも・・・その言葉でしか有り得ないような言葉を紡げる人。

後天的にも手に入れられるものならば、欲しい。

それにしてもわたしたちは言葉を消費して生きている。

全てをとっておきたいのに忘れてしまう。

あの人の言葉も、自分の言葉も。

頭に描いたらその通り文章化されるのならば、わたしは毎日何回もHPの更新が出来るのになぁ。(苦笑)

アルファベットに沿ったことを書いたり、関係なく思ってることを書いたりすると思いますが、
ご無沙汰だったのでとっかかりとして、アルファベットを使ってみました。

順不同になる予定ですが、許してやってください。

12:26
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