ジェフ・バックリィ



ジェフ・バックリィ(Jeff Buckley 1966年11月17日生)
 [アメリカ・シンガーソングライター]


 カリフォルニア州アナハイム生まれ。父親は1960年代に活躍していた歌手、ティム・バックリィだが、幼少の頃に1度だけ会って以降は、麻薬の過剰摂取によるティムの死去まで会うことは無かった。

 母親がピアニスト兼チェリストであった為、音楽的には非常に恵まれた環境にあった、とバックリィは述懐している。高校に入る頃にはプログレッシブ・ロックやジャズ、フュージョンを愛好する様になり、高校ではジャズバンドに所属していたという。

 高校卒業後、ハリウッドに移住し、音楽学校『ミュージシャンズ・インスティテュート』に入学。一年の過程を修了した。その後、バックリィはホテルで働きながら、様々なバンドでプレイすることとなるものの、芽は出ず、また後に知られることになる美声も、このときの彼にはせいぜいがコーラス位しか歌う機会がなく、認知されることはなかった。

 1990年にチャンスを求めてニューヨーク入りするも、思ったほどの機会は与えられず、その年のうちにロサンゼルスへと帰ってくる。帰省後、彼はレコード会社に自分を直接売り込むため、父親の元マネージャーに連絡を取り、デモテープを作成した。彼の初めてのデモテープは、当初脚光を浴びることはなかった。

 彼が脚光をあびたのはその後、ニューヨークのあるコンサートにおいてである。といっても、そのコンサートは彼のものではなく、彼の父親に対するトリビュート・コンサートであった。「ティム・バックリィの息子」としてコンサートに呼ばれたジェフ・バックリィは、観衆を魅了し、或いは仰天させ、ただの「ティム・バックリィの息子」ではなく、「アーティスト・『ジェフ・バックリィ』」を大衆に認知させた。その日のコンサートは彼のキャリアにとって大きな一歩となる。結果として、彼に成功するきっかけを与えたのが、幼少のころ一度会っただけの、葬式にも出席しなかった父親であったことは大いなる皮肉であった。

 後にバックリィはクラブなどでライブ活動を展開、徐々にその名を浸透させてゆく。1992年、ついにコロムビア・レコードと契約、『Live at Sin-e』を発表する。

 1993年の夏から『グレース』の製作を開始、1994年9月に発表となる。当初の売れ行きはさほど芳しくはなかったが、ジミー・ペイジやロバート・プラント、エルトン・ジョンなど各界著名人から高評価を受け、その後押しを受けてセールスも伸びていった。

 その美しい歌声から「天使の歌声」と称され、また類まれなギターの演奏テクニックも持っていたが、1997年にミシシッピ川で泳いでいた際に溺死。セカンドアルバムの製作中であった。溺れた当時は酒を飲んではいたが、ドラッグを使用した形跡や遺書等は無く、事故死であろうとされている。遺体は5日後に発見された。

 1990年代でもっとも将来を嘱望されたアーティストの一人であり、この若い才能の喪失は米国音楽界におこった最大の悲劇の一つとなった。

 後に、彼がカート・コバーンの様に双極性障害を罹患していたことを親しいものに洩らしていたことがわかり、自殺説も囁かれているが、真相は闇の中である。

 オリジナルのアルバムは1枚だけだが、彼の死後に未発表曲、ライブ音源などが多数発表され、今なお多くのミュージシャン達に影響を与えている。

 1997年5月29日死去(享年30)


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