星野道夫



星野道夫(ほしのみちお 1952年9月27日生)
 [写真家]


 千葉県出身。慶應義塾高等学校卒業後、慶應義塾大学経済学部へ進学。大学時代は探検部で活動し、熱気球による琵琶湖横断や最長飛行記録に挑戦した。19歳のとき、洋書専門店で購入したアラスカの写真集を見て、同書に掲載されていたシシュマレフ村を訪問したいと村長に手紙を送ってみたところ、半年後に村長本人から訪問を歓迎する旨の返事がきた。そこで翌年の夏、日本から何回も航空機を乗り継いでシシュマレフ村に渡航する。現地でホームステイをしながらクジラ漁についていき写真をとったり、漁などの手伝いをしながら3ヶ月間をすごす。

 1978年アラスカ大学の入試を受けた。入試では、英語の合格点には30点足りなかったが、学長に直談判して野生動物管理学部に入学。その後アラスカを中心にカリブーやグリズリーなど野生の動植物やそこで生活する人々の魅力的な写真を撮影した。しかしアラスカ大学の方は結局中退してしまう。

 1989年には『Alaska 極北・生命の地図』で第15回木村伊兵衛写真賞を受賞する。1993年、結婚。翌1994年、長男誕生。

 1996年7月25日、TBSの人気動物番組『どうぶつ奇想天外!』の撮影の為、ロシアのカムチャツカ半島南部のクリル湖畔を訪れた。今回は星野の持ち込み企画で、「ヒグマと鮭(サケ)」をテーマに撮影する予定で、星野の他にTBSスタッフ3名とロシア人ガイド2名が同行していた。小屋には取材班とガイドの5名が泊まり、星野はそこから数m程離れた所にテントを張り、1人でそこに泊まることにした。その時小屋の食糧がヒグマにあさられていた形跡をガイドが発見している。

 7月27日、別のアメリカ人写真家が現地を訪れ、星野のテント近くにテントを張ったが、その夜、写真家は金属音で目が覚めた。外に出ると小屋の食糧庫にヒグマがよじ登り、飛び跳ねていた。ヒグマは体長2m超・体重250kgはある巨大な雄クマで、額に特徴的な赤い傷があった。アメリカ人写真家が大声を出して手を叩くとヒグマは跳ねるのを止め地面に降りると、今度は星野のテント後方に周りはじめた。その最中、星野がテントから顔を出したので、写真家は「あなたのテントから3mにヒグマがいる」と警告した。星野は「どこ?」と返す。「すぐそこ。ガイドを呼ぼうか?」と写真家が聞くと「うん呼んで」と答えたので、写真家は小屋のドアを叩いてヒグマの出没をガイドに告げた。小屋から出てきたガイドは鍋を叩き鳴らしながら近づき、7〜8mあたりでクマ除けスプレーをヒグマに向けて噴射したが、ヒグマには届かなかった。なお、同地は自然保護区の為、銃の所持・使用は禁止されている。その後もスプレーを掛けようとガイドは悪戦苦闘するが、上手くいかず、やがてヒグマはテントから離れていった。

 この為、ガイドたちは星野氏に小屋で寝るよう説得したが、星野は「この時期はサケが川を上って食べ物が豊富だから、ヒグマは襲ってこない」として取り合わなかった。一方で、アメリカ人写真家は身の危険を感じ、近くの鮭観察タワーに宿泊した。8月1日、環境保護団体のグループが訪れ同地でキャンプをしたが、靴をヒグマに持ち去られたり、写真家が不在だった鮭観察タワーに泊まった1人は、一晩中タワーによじ登ろうとするヒグマに怯え眠れなかったという。8月6日夜にはまた星野のテント近くにヒグマが現れて、ガイドがスプレーで追い払った。ガイドは再び強く小屋への移動を勧めたが、星野はこの時も聞き入れなかったという。

 8月8日の深夜4時頃、星野の悲鳴とヒグマのうなり声が暗闇のキャンプ場に響き渡った。小屋から出てきたTBSスタッフは「テント!ベアー!ベアー!」とガイドに叫んだ。ガイドが懐中電灯で照らすとヒグマが星野を咥えて森へ引きずっていく姿が見えた。ガイドたちは大声をあげシャベルをガンガン叩いたが、ヒグマは一度頭をあげただけで、そのまま森へ消えていった。テントはひしゃげていてポール(支柱)は折れ、星野の寝袋は切り裂かれていた。ガイドが無線で救助を要請し、ヘリコプターで到着した捜索隊は上空からヒグマを捜索し、発見すると射殺した。星野の遺体は森の中でヒグマに喰い荒らされ、体の3分の2は原形を留めていない状態で発見された。

 星野は「野生のヒグマは遡上する鮭の多いこの季節に人を襲わない」との考えからテントに泊まり続けたが、その知識は基本的には間違いではない。しかし、この事故については、星野の友人たちやクマを専門とする研究者によって検証が行われ、星野を襲ったのは地元テレビ局の社長によって餌付けされていたヒグマで、人間のもたらす食糧の味を知っている個体であったことが明らかにされた。さらにこの年は鮭の遡上が遅れ気味で、食糧が不足していた。死の直前まで撮影された星野の映像は遺族の意向もあり、「極東ロシアヒグマ王国〜写真家・星野道夫氏をしのんで〜」と題し、後日放送された。

 この事件の経緯はTBSが作成した「遭難報告書」によるものであるが、星野が死亡していることもあり、実際本当に星野が小屋に泊まることを拒否したのか、事件は回避出来なかったのか等の真偽は不明である。ガイドやアメリカ人写真家の証言と報告書との間に矛盾もあったことから、星野の友人らはTBSに対して公開質問状を送ったが、TBS側は報告書の一部間違いは認めたものの、事故を予測することはできなかったと回答している。また遺族の意向もあり、追加報告書の作成は見送ったとしている。

 なお、昼間にテントの入り口から入ろうとするヒグマの写真が星野道夫が最期に撮影したものとして出回っているが、襲撃は深夜4時頃のことであり偽物である。

 1996年8月8日死去(享年43)


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