小瀬浩之



小瀬浩之(おぜひろゆき 1985年9月2日生)
 [プロ野球選手]


 大阪府出身。尽誠学園高等学校の2年時に第74回選抜高等学校野球大会に出場し8強入りに貢献した。近畿大学2年時には第34回日米大学野球選手権大会日本代表に、3年時には第3回世界大学野球選手権大会日本代表に選出された。リーグ戦通算72試合出場、297打数104安打、打率.350、1本塁打、17打点。4年時の秋季リーグで最優秀選手に選ばれた。首位打者2回、ベストナイン3回受賞。

 大学1年の冬に一番の応援者であった母を亡くし、そのショックから一時は野球を辞めようとすら考えていた。しかし監督である榎本保に説得され「プロに入って立派な墓を建ててあげたい」と決意、2007年の大学生・社会人ドラフトで、オリックスから3巡目指名を受け入団。

 2008年はウエスタン・リーグで3割以上の打率を残し、7月15日に一軍初昇格。同日の千葉ロッテマリーンズ戦で初出場・初スタメンを果たすと初安打となるショート内野安打を放ち、出塁するとすかさず初盗塁を記録し、翌日には初打点を挙げた。その後、主に9番左翼手として一軍に定着し、8月5日の福岡ソフトバンクホークス戦でプロ入り初本塁打を放ち、8月27日の福岡ソフトバンクホークス戦では同点の9回表に決勝スクイズを決めた。9月29日の埼玉西武ライオンズ戦で延長10回表にまたも決勝スクイズを決め、この試合の勝利によりチームは9年ぶりにAクラス入りを果たした。

 その後、日本ハムファイターズとのクライマックスシリーズでは、第一戦目に8番左翼手としてに出場し、チームは敗れたもののチームで唯一猛打賞を記録する。続く第二戦目はスタメンから外れるも、最終回に代打出場。一時は3割前後だった打率は9月中旬以降落ちていき最終的に.262に終わったが58試合に出場して出塁率.342、チーム3位の7盗塁を記録するなど持ち味の俊足巧打を生かしてまずまずの成績を残した。オフには、一般の女性と2年間の交際期間を経て入籍する。

 2009年、シーズン序盤は出場機会が少なく、打率も1割台前半に留まった。しかし6月に準レギュラーを獲得すると6月.275、7月.317、8月.362、9月.417とシーズン後半になるにつれ一気に打率を挙げた。規定打席には到達しなかったものの打率.303、チーム4位の7盗塁をマークした。オフには昨年に入籍していた夫人と結婚式を挙げていた。

 2010年2月5日、春季キャンプで滞在していた沖縄県宮古島市のホテルで、10階の自室から2階部分屋上に転落死しているところを発見された。警察は自殺と事故の両面から事情を調べていたが、オリックスの球団本部長は2月7日警察から事件性が無いこと、また死因や遺書の有無については発表がなかったと公表し、球団としてこれ以上は調査はしないとした。

 「外野にエエ選手がいる」と期待していた岡田彰布監督は「訳が分からない。昨日まで、元気にグラウンドでやってたわけだから。そんなの、考えられない」とコメントした。事実、小瀬はシュアプレイ社製のバットを使用していたが、岡田がバット変更を打診、小瀬のために直々にSSK社製のバットを特注するほど期待されていた。しかし、亡くなる前日、トレーニング室では元気がなく、帰りのバスでは頭からタオルをかぶり、座席に身を沈めている姿が目撃されていたという。

 また、2010年に入って一部のチームメートに「自殺したい」と漏らし、引き留められていたという。また亡くなる前夜には、数人の選手らに「ありがとうございました」という内容の文章を携帯メールで送っていた。

 自殺の原因については、家庭内で問題を抱えていたとの情報もあるが真相は不明である。

 2010年2月5日死去(享年24)





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