レバンダー・ジョンソン



レバンダー・ウィリアム・ジョンソン(Leavander William Johnson 1969年12月24日生)
 [アメリカ・プロボクサー]


 ニュージャージー州アトランティックシティ生まれ。早くからアマチュアボクシングを始め頭角を現し、1989年2月14日に19歳でプロデビューする。その後、無敗のまま1994年3月18日にNABF北米ライト級タイトルに挑戦し8回KOで勝利してタイトルを獲得する。そして同年8月4日には初めてのメジャータイトルマッチとしてWBC世界ライト級タイトルに挑戦するが敗退。

 翌1995年7月29日にはマイナータイトルながらIBOライト級タイトルを獲得し、1997年5月10日に2度目のメジャータイトルマッチとしてオルズベック・ナザロフの持つWBA世界ライト級タイトルに挑戦するが、またしても敗れてタイトル獲得は叶わなかった。

 2002年10月25日にはUSBA全米ライト級タイトルを獲得。この試合でジョンソンはIBFの指名挑戦権も獲得し、2003年11月22日に空位のIBFタイトルを賭けてハビエル・ハウレギと王座決定戦を行う。だが、この3度目のメジャータイトル挑戦でも11ラウンドTKOで敗れてチャンピオンベルトを腰に巻くことは出来なかった。

 その後もメジャータイトルの夢を捨てきれず、そして遂にフリオ・ディアスが返上して空位となったIBFタイトルを賭けて、2005年6月17日にステファノ・ゾフと敵地イタリアでタイトルマッチを行うチャンスを掴んだ。大方の予想はゾフ有利でジョンソンはかませ犬と見られていたが、彼は見事に7ラウンドTKOで勝利して、ようやく念願のメジャータイトル、IBF世界ライト級王座を獲得した。ジョンソン35歳、4度目の挑戦にして初めての戴冠であった。

 念願のベルトを手にしたジョンソンは、3か月後の2005年9月17日に指名試合としてメキシコのヘスス・チャベスの挑戦を受ける事になる。

 打たれ強く、ひたすら前へ前へと押しながら休むことなく打ち続け、頭を突き合わせた接近戦でのショートパンチにも威力のある典型的なメキシカンファイターであるチャベスは、この試合でも手数でジョンソンを圧倒し、10ラウンドには集中的な連打を浴びせた。ラウンド終了後、コーナーに戻ったジョンソンはグロッキー状態に近かったが、ドクターストップはかからずに試合は続行された。11ラウンドが開始されると直ぐにロープ際に詰まったジョンソンに対し、容赦なくチャベスの連打が襲い掛かり、0分38秒にレフェリーがストップするまで手を休めることがなかった。

 ヘスス・チャベスの連打を浴びて11ラウンドTKO負けしたジョンソンは、試合後、彼自身の足でリングを下りたが、まもなく更衣室で昏倒し試合会場からユニバーシティ・メディカル・センターへ搬送された。診断は脳内の血管破裂による脳内出血(急性硬膜下血腫)であり、緊急開頭手術が施された。手術後、昏睡状態になっていた彼はかなり危険な状態であり予断を許さない状況だったが、週明けまで持ちこたえ一時は良くなる兆候さえ見せた。が、すぐに再び危篤状態に陥り9月19日には2度目の手術を受けた。

 チャベスも見舞いに駆けつけたが、しかし、努力もむなしく手術後の昏睡状態から意識を取り戻すことなく彼の脳は活動をやめた。彼の家族は延命処置を中止する決断をし、2005年9月22日午後4時23分に家族たちに見守られながら、彼は息を引き取った。 プロボクサー歴16年、35歳、4人の子供を残しての逝去だった。 直接的な原因は、10ラウンドに浴びた2ダース以上の的確なパンチと思われたが、16年にわたる彼のプロボクサー歴で蓄積されたダメージも原因の一つと考えられた。

 2005年9月22日死去(享年35)


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